2000-11-24 第150回国会 参議院 文教・科学委員会 第5号
私も原子核物理学者の一人として非常に残念だと思っています。その原子爆弾というものを考えますと、戦時中であったということが一つ、そして世界じゅうがこの競争をした、軍備としてやろうとしたことが大きな問題であったかと思っております。万やむを得なかったと言う人も多いのですけれども、私は残念に思っています。
私も原子核物理学者の一人として非常に残念だと思っています。その原子爆弾というものを考えますと、戦時中であったということが一つ、そして世界じゅうがこの競争をした、軍備としてやろうとしたことが大きな問題であったかと思っております。万やむを得なかったと言う人も多いのですけれども、私は残念に思っています。
○有馬国務大臣 私は、一原子力研究者というか原子核物理学者として、軍事に原子核が使われるということは大変反対です。そういう意味で、多少不平等性があるという御指摘のとおりでありますが、やはりこのNPTは、原子力の平和利用ということ、それから核不拡散を両立させている大変重要な国際的な枠組みである。
それから十カ年くらい、日本の原子核物理学者は全く何もできないで、ただ呻吟しているという状態が続いたわけでございます。
それは原子核物理学者がつくったもので原子核にだけ利用していたものなんですが、それを、アメリカを見てきた人がそのシンクロトロンから出る電子を利用して放射光をつくろうではないかというお話になりました。
そういう意味から申しますと、中国の原子核物理学者の能率と日本の原子核物理学者の能率とはまるで違っていたはずなんです。 つまり、日本の科学研究の実験的な体制から申しますと非常にインフラストラクチャーが立派にでき上がっている、だから先端的な仕事も易しくできる。このインフラストラクチャーをどういうふうにちゃんと整えておくかということは、僕はお役所の非常に大きな任務だと思うのですがね。
朝永先生がまとめられまして、三月二十日付で朝永振一郎先生のお名前で第三十九委員会の藤岡由夫先生に提出されました「わが国の原子力研究についての原子核物理学者の意見」というものの中にもこういうことが述べられております。
○参考人(服部学君) 私、先ほど原子力基本法、それから学術会議の原子力平和利用三原則、あるいはそのもとになりました我が国の原子力研究についての原子核物理学者の意見というようなものをもとにして申し上げましたが、これは私自身が原子力の研究分野に携わっているから特に原子力の問題についてお話をしたわけでありますが、これは何も原子力に限ったことではなくて、すべての科学研究あるいは技術の開発についても同じことが
そして、いわゆる原子核物理学者の中でも非常に反対の意見の人は、先ほどちょっと申しましたが、高速増殖炉についてCERNの一千人の科学者が反対の署名を昨年の十一月にしているということを申し上げましたけれども、それ以上に遺伝生物学関係の人々が原子力政策ということに対して非常に強い反対の態度を示しているということを申し上げて、私も同感だということです。
○伏見参考人 この原子炉の設計上の問題につきましては、私は原子核物理学者でございますが、そのほかにこういう建物を建てます以上は、建築の方の先生方とか、地盤の強さといったようなことになりますと土木関係の先生方とか、いろいろな方々のお知恵を総合しなければならないわけでございます。
で、原子力というものが外国でどんどん進みまして、日本がある意味において取り残されているということも事実でございますが、しかし仁科芳雄先生のような先覚者がおられまして、原子核物理学という領域で相当長い伝統と、りっぱな研究者を長い間養成してこられまして、相当たくさんの研究者を実際日本は擁しているわけでございますが、現在日本のそういう原子核物理学者というものを動員せずして、新たにまた原子力というものを外国
従ってどうしても日本でこれをやる場合でも、できるだけ衆知を集めるということに御努力になる必要があるのではないか、われわれ原子核特別委員会の者どもが、その三原則はどうしてもなければ将来の発展が危ぶまれるのではないかということを申しますと、何だか原子核物理学者はむずかしいことを言う、原子炉はもう原子核物理学者のものではないのだ、エンジニアのものだというふうに言って、原子核物理学者の意見をお聞きなさろうとしない
しかしこのアジア共同体とか何とかいうことになりますと、これはずいぶん問題が複雑な問題で、われわれ原子力物理学者ないしは原子核物理学者にはそこまでどう考えていいかよくわからないのでございますが、しかしそれがもし非常に遠い将来の人類の理想に役立つなら大いにけっこうですけれど、しかしそれならばもう少し慎重に地盤を作って、そうして言えばいいのではないか。
それで原子力のことについて、一体どういうことが行われるべきかということを申し上げますと、原子力の実際上の課題というものは、今日ではもはや原子核物理学者の手から離れまして、むしろ科学工学者の手に移っているわけであります。
あのベルギーの国内にもたくさんの原子力物理学者、原子核物理学者がおるにもかかわらず、ごく最近まで原子核研究、あるいは原子力研究というものが行われなかったわけですが、ことし中に大きな原子炉をつくるということになって、今盛んに研究されている最中でございます。
かし、多くの科学者、また原子核物理学者の知能を集めてつくつたところのこの原子力の最初の應用が、人類の幸福のためにではなく、廣島、長崎両市民の犠牲において開始されたことを、自分は一科学者として非常に残念に思う次第であります。